過去のトピックス

2023.8.10

◎2023 自分史活用アドバイザー総会

8月5日(土)東京国際フォーラムにて開催。リアルな集まりは実に4年ぶりです。ここは2016年に私が認定講座を受講した場所でもあり、懐かしい方々との再会もあり、自分史作りを始めてみようとしていた原点の心持ちがよみがえってきました。

 

協議会からの報告や各方面で活躍された皆様の表彰のあとは、全国各地からの参加者が一人80秒の持ち時間きっかりに、取り組んだことやこれからやってみたいことを話しました。それぞれに多岐にわたり自分史に取り組んでいる姿に刺激を受けるとともに、現在制作中の案件で悩んでいることに対して、勇気のでるアドバイスもいただくことができて、大収穫の1日となりました。

 

横断幕に書かれている「自分史で日本を元気に!」という言葉、正直言って認定講座を受けた頃は、ちょっと大袈裟じゃない?て思っていましたが、その後自分でも活動していく中で、ちっとも大袈裟なんかじゃないと思えるようになりました。その変化に気づけたことも、この日のうれしかったことのひとつです。

2022.06.04

◎「グルマン世界料理本大賞2022」受賞!

 

宮澤孝子著 思い出の料理と綴る『母が紡ぐ和の薬膳』は、「GOURMAND WORLD COOKBOOK AWARDS 」の「FOOD & NATURE」部門において第2位を受賞することができました。

同部門のグランプリは、中国の国家シェフXu Long氏(国賓等に提供する料理を担い、数々の料理本や映画等も制作)のチームによる「EN ROUTE herbs & spices」(北京大学出版)でした

 

惜しくもグランプリは逃しましたが、願掛けのダルマには大願成就の目を入れてあげようと思います。制作に際してお力を貸してくださった皆さま、応援してくださった皆さま、お陰さまです。ありがとうございました!

 

今年度は過去最高の応募があり、227の国と地域から1558作品がノミネートされたそうです。

写真はスウェーデンの式典会場にてプレゼンテーションを行う宮澤さんと主催者のコアントロー氏。宮澤さんの他に2人の日本人が受賞しており、そのお1人はあの山形県庄内のイタリアン「アル・ケッチャーノ」の奥田シェフ。「ゆで論」(ラクア書店)という著書が、「SINGLE SUBJECT」部門にてグランプリを獲得されました。その他詳細までは今のところ不明ですが、宮澤さんが帰国されてから、ゆっくりと土産話をお聞きするのが楽しみです。

2022.06.01

昨年10月発行の、思い出の料理と綴る自分史『母が紡ぐ和の薬膳』が、「グルマン世界料理本大賞2022」の最終候補になっています。


「グルマン世界料理本大賞」とは、リキュールで知られるコアントロー家出身のエドゥアール・コアントロー氏が1995年に設立した賞で、料理本のアカデミー賞と言われているもの。

その年に出版された世界中の食に関する本が対象で、多岐にわたるカテゴリーのそれぞれにノミネートされた本が、いよいよ今週末、スェーデンのウメオにて最終選考及び受賞の時を迎えます。


『母が紡ぐ和の薬膳』は”Nature food”というカテゴリーの最終候補に残っています。4日間をかけて行われるシンポジウムや夜ごとのパーティ、そして授賞式に、著者である宮澤さんと共に私も出席するつもりでいましたが、招待状が届いたのはコロナ禍の只中。4/1付けでスウェーデン側の入国制限は解除になりましたが、日本側は渡航中止勧告レベル3。加えてロシアのウクライナ侵攻もあり、参加を諦めざるを得ない状況に

 

しかし最近になって状況が変わり、宮澤さんは急遽単身で向かうことを決めました。予約した飛行機が運休になったり、ドイツ経由に変更になったり、準備の段階から一筋縄ではいかない旅ですが、それでも彼の地まで赴いて、英語でプレゼンテーションを行います。この行動力が宮澤さんなんだなぁと、本の内容を思い起こしつつ感動を新たにしています。

結果はまたあらためて、ここでお知らせいたしますね。

 

思い出の料理と綴る自分史「母が紡ぐ和の薬膳」は、Amazonにて好評発売中です!

 

2021.09.20

薬膳料理家 宮澤孝子さんの自分史を、昨日納品させていただきました。

 

『母が紡ぐ和の薬膳』は、前半は思い出の料理にまつわるエッセイとともに綴る自分史。後半ではエッセイに登場した料理のレシピと食材の効能などをご紹介しています。

 

10月2日よりAmazonにて発売となります。

その日までどうぞ頭の片隅に、一冊お取り置きくださいますよう。

2021.08.10

かねてより制作が進んでいた自分史ですが、校正の最終段階となる念校が終了しました。表紙や帯などの装丁関係は既にゴーサインが出ていますので、これにていよいよ本作りの工程は印刷へと進みます。

 

ここまでの道のりは長く濃密なものでした。途中幾つもの発見があり、迷いが生じたりもしました。著者が本を発売するのはやめて、自分だけの記録にしようかと躊躇われた時もありました。過去を開示するのはとても勇気の要ることですから、心が揺れるのは当然のことです。その時はなぜ本を出そうかと思ったかという初心に立ち帰り、やはり広く読んでいただくという決断をされたのでした。

 

思い出の料理と綴る自分史『母が紡ぐ和の薬膳』著者/宮澤孝子

102日、Amazonより発売予定です。

2021.06.23

ジャーナリストで評論家の立花隆さんの訃報で明けた朝でした。

 

知の巨人と称され、幅広い分野において数々の名著を残されています。

その中の一冊に「自分史の書き方」があり、先ずもって表紙を開いた見返しにて、「これからの人生のデザインに最良の方法は自分史を書くことだ」と、力強く言い切っておられます。この言葉に、自分史に関わり始めたばかりの私は大いに励まされたのでした。

 

まだまだお元気で活躍していただきたい方でした。とりわけコロナ禍において東京オリンピックが開かれんとする今の世相に関して、立花さんのご意見を伺えないことが残念です。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


2021.05.14

現在制作中の自分史は文字データの整理が終わり、これから本文のレイアウトや表紙のデザイン制作へと進むところです。販売を視野に入れていますので、腰帯もつけることにしました。

 

本に帯をつける目的は、宣伝効果を狙ってのこと。書店に並ぶたくさんの本の中から、対象とする読者層に「これは!」と手にとってもらったり、本を開かなくても概要を伝えたりするためです。

 

帯の出来が本の売れ行きにも関わるとあって、各出版社が力を入れるところ。派手な色で目立たせたり、気になる惹句(人の注意や興味を引きつけるキャッチフレーズ)を使うなど、工夫を凝らしています。時には気を引くことだけに注力した変化球もあったりして、関心を持って見ると本当に面白いアイテムです。

 

今回の自分史はAmazonで販売予定です。書店で実際に手にとって選んでいただけるわけではありませんが、写真でご紹介する際にも大きく写るのはやはり表紙の面ですので帯は重要。興味を持っていただけますようにと願いを込めて、温度高めの言葉を並べました。

 今月末には初回のデザインを確認できる予定ですので、著者ともども楽しみにしているところです。

2021.04.21

桜をはじめ花々の開花が例年より早く感じます。庭の花影には、生まれたばかりのバッタやナナフシの赤ちゃんの姿が見られるようになりました。

 

とある方の自分史の制作が進んでいます。昨年5月に最初のご相談を受け、まずはなぜ自分史を作りたいと思われたのか、どのような本に仕上げたいかを詳しくヒアリングし、その骨格に合わせた書籍の企画を立て、一つ一つ段階を踏みながら制作を進めてきました。原稿や写真などすべての材料が整い、いよいよ製本の段階に入るところです。

 

新刊書としてご紹介できるのはまだ3ヶ月ほど先の予定ですが、まずは著者の半生が文書となり一段落つきました。人それぞれ歩んできた道には雲ひとつない晴天の日もあれば、心までちぎれてしまいそうな嵐の日もあり。人の生きてきた道はお聞きしてみないとわからないものだと、あらためて思いました。

 

取材では思うままに語れたことも、文字にしてみると重みが違ってきます。公にする前提で本を作る場合、どこまで開示するか、どのように表現するか、客観的に判断していく必要があります。エピソードの一つ一つを丹念になぞるほどに生じる葛藤。それは時には本を出版すべきか否か、そもそも論に及ぶほど著者を悩ませることがあります。

 

そんな時には「なぜ自分史を残そうと思ったのか」という原点に立ち戻ってみてください。答えはそこにあるはずです。誰に何を伝えたいのか。その点をしっかり認識することで、どのような自分史を作るとよいのかが見えてくると思います。また自分史の場合はこれがとても重要なことなのですが、誰=読んでもらいたい対象に、著者ご本人も入ります。自分だけのためにたった1冊の自分史を作るという価値もあるのです。

 

2019.07.14

次女と沖縄二人旅をしてきました。昨年11月に行って再訪したいと思っていたところ、行きたくても行けなかったところをレンタカーで回りました。次女が前回沖縄に来たのは4〜5歳の頃だったでしょうか。楽しく遊んだことのあるビーチに連れて行っても何も思い出せなかったのに、激しい風雨のことと、帰りの飛行機が遅れたことは覚えていました。

 

道々、当時の旅の思い出を話してあげながら、次女の脳に新たな情報が加えられているという自覚があり、脚色なく伝えるよう努めました。この感覚は私が自分史に関わるようになって、人の記憶の不思議さを意識するようになってからです。

 

4〜5歳の頃のおぼろげな記憶に、私の話しから彼女の脳が選び取った新しい情報が加えられ、今後彼女が子どもの頃の沖縄旅行を思い出すときは、より彩りを増すことでしょう。そして「これは後から母に聞いた話」が、いつしかその枠が取れて、本当の記憶として上書きされていくこともあります。

 

それはそれで悪いことでもなく、嘘でもありません。でも、私がこの時のことを書き記しておけば、より正しい「記録」として残すことができます。

 

2019.03.19

彼岸の入り日にピンクの花束とおいしいおはぎを携えて実家へ。

姉と二人して夜更けまで、両親や祖父母から私たちが受け継いでいることなどを語り合いました。でも、二人の記憶が違っていたり、しっかり聞いていたはずのことが思い出せなかったり、記憶の輪郭はどれもこれもぼんやりと薄れてきています。もっと早くこういうことを書き留めておくべきだったね。

 

私たちのルーツについて欠けているピースを探すべく、近々母方の叔母に時間を取ってもらい、二人で尋ねることにしました。

2019.03.11

2011年3月11日、金曜日、14時46分。

 

この日は近所の友人宅でお昼を食べて帰宅し、私は一人自宅に居ました。ぐらぐらと揺れる家の中で薄っぺらいテレビを片手で抑えながら窓の外を見ていると、向いの家の奥さんが表に出ておろおろとしている様子が目に入り、外へ出て何度も何度も繰り返す揺れを共に過ごしました。アスファルトに覆われた地面が波打っていました。

 

途中揺れが治まった時に貴重品を取りに家に入ると、物が散乱して特に二階は足の踏み場もありませんでした。花瓶やガラスの置物があちこちで壊れていたので、家には土足で上がりました。「あら、こんなところにヒーターを置いていたかしら?」と思ったものは、棚から転がり落ちて下を向いた電子レンジでした。

 

高校生だった長女は学校で被災。直後に一度安否を気づかう電話をくれましたが、その後は通じなくなりました。生徒たちは薄着のままで屋外退避。大量に割れたガラスで足を怪我する子がいたり、家が遠い子は帰路を断たれ親の迎えを寒い戸外で待つことに。夕方からの冷え込みは厳しく、親との連絡も取れず、多くの子が震えながら過ごしました。

 

小学生だった次女も学校で被災。体育の授業のため体操着に着替えている時に地震発生。クラス全員机の下に潜るも、窓ガラスが割れ、廊下と教室を隔てる壁が倒れ、天井板がはがれて落下するなど被害が激しく、先生の掛け声で一斉避難。脱いだばかりの制服を一度は引っ張ってみたものの、はがれ落ちてきた天井板と机に挟まれて抜けなかったそうです。この小学校も遠方からバスや電車で通う生徒が多く、寒い屋外で夜遅くまで、食事もとれずに親の迎えを待つことになるのでした。

 

夫は水戸駅近くのとある事務所を訪問中。その時駐車場に停めておいたクルマの列が崖くずれの下敷きになった写真は新聞や各種報道に使われ、茨城もまた被災地であることを伝えました。もし地震の時に運転席にいたら、彼はもうこの世にはいません。1年にたった1度の用事で偶然にも夫が子供たちの学校近くにいたのも不幸中の幸いでした。すぐに次女を迎えに行ってもらい、長女と落ち合い、3人そろって7時前には徒歩で帰宅してきました。

 

あれから8年経ちました。何が復興できたでしょうか。何百年に一度来るかどうかという津波に対して高い防潮堤を築いていますが、本当に必要なことはそういうことではないと思うのです。被災地の方の「海は悪くない」と言った言葉が心に残ります。

あの日夫が乗っていたクルマの写真は、わが家の震災の象徴。痛々しい姿ですが、私にとっては不幸の記録ではありません。いつ何が起こるかわからない生涯、だいじな人たちと気持ちを通わせながら、死ぬまで生きようと思わせてくれる1枚です。

2019.01.27

昨年11月に自分史「マイセルフ」を上梓されたお客様。

つらい思いをしながらも、心から愛していた旦那様との赤裸々な半生を二人のお子様に伝える術として、他の誰にも見せるつもりもない、3冊のみの納品でした。

 

「あとがき」はご自身で書いてみませんかとお勧めしてみたら、「こうして人生を文字にしてもらえて、初めて気づきました。後悔することなんてひとつもなかったことに」と書いてくださり、半年に及ぶ制作期間が報われた思いがしました。

 

出来上がった本の納品日、手にとって読み始めた時は落涙やまず。「これでもう私、つらいこと全て忘れていいのね。この中にすべて書かれてあるものね」と泣き笑いしながら、肩の荷が下りたと言っていただけました。

 

その後何度か読み返すうちに、「私、精一杯生きてきたのね」と客観的な感想を持たれるようになりました。「その時は自分が嫌になったり、卑下したりしたけれど、今はどの自分も好き」と、過去の出来事をとらえる心境に変化が現れたようでした。友人の皆さんからの「ぜひ読んでみたい」というご要望もあり、今年に入って、一部を読んでお聞かせしようかなというご相談をいただきました。ただ読んで聞かせたいということではなく、「もしかしたら私の経験が誰かの役にたつかもしれない」という気持ちが湧いてきたとおっしゃるのです。

 

このような流れから、一昨日、朗読の会を開くこととなりました。私の簡単な説明をはさみながら、各章から抜粋してご本人が朗読をするという構成。聞いていただいたのは著者に近しいご友人4名。小さな小さな会ですが、特別な時間となりました。

 

私にとって初めてのご依頼で制作させていただいた自分史です。手探りで夢中になって作った本を納品したところでゴールかと思っていましたが、その先にこのような展開があるとは想像もしていませんでした。自分史が著者にもたらす影響は人それぞれと思いますが、初めての仕事でこれほどダイナミックな変化を実感できたことは幸運というほかありません。

2019.01.13

わが家の次女が今年成人式でした。

晴天に恵まれ、華やいだ笑顔があふれた水戸芸術館の広場。女の子たちはすっかりお姉さんに。男の子たちは体つきも顔つきも別人のようにたくましくなりました。でも同い年の子の中には、それぞれの事情で式に出ないことを選んだ子もいます。出席してはみたものの、落ち着かない気持ちでいる子もいます。

 

ついこの間までランドセル背負っていたように感じますが、彼らの二十年間はすでに様々な経験に彩られています。小学校中学校時代のどこかが黒歴史だったと思っている子にとって、成人式は踏み絵のようなものかもしれません。この日も、とある子が戦々恐々とした思いでこの場に臨んでいることを知っていた私は、心の中で「あなたはもうあの日のあなたではないよ、乗り越えていこう」とエールを送りました。

 

はたから見たらたいしたことないことでも、当の本人にとっては大問題ということがあります。考え方ひとつで心の負担はずいぶんと軽くなるものですが、自分自身を振り返っても大概のことを「このくらい平気」と思えるようになったのは、二十歳よりもずっとずっと後のことでした。

 

あの子もいつか平成最後の成人式を思い出した時に、「あの日勇気をだして会場へ行ってよかったな」「あの日の私がんばったな」と思える時がきますように。

2018.12.28

平成最後の年の暮れ、皆様いかがお過ごしですか。先日立て続けに、年末の忙しさに心を亡くしているのであろう方の理不尽なふるまいを目にしました。心がざらっとしました。そんな気分を鎮めたくて、以前写真に撮っておいたこの文章を読み直しました。

 

ご結婚満50年の記者会見で、「結婚されてよかったと思われた瞬間はいつでしょう?」と尋ねられた皇后陛下のお言葉です。

ーーーほんとうに小さな思い出をひとつお話しいたします。春、こぶしの花がとりたくて、木の下でどの枝にしようかと迷っておりましたときに、陛下が一枝を目の高さまで下ろしてくださって、そこに思っていた通りの美しい花が付いておりました。嬉しくて、後に歌にも詠みました。ーーー

いくつ年齢を重ねても、ささやかなことに喜びと感謝を感じられる自分でいたいです。

 

従来のライター業に加え、今年は自分史活用アドバイザーとしての活動を本格的にスタートすることができました。思っていた以上に広くて深くて自由すぎる世界にあっぷあっぷしながらも、多くの方に助けていただいてやりがいを感じているところです。お世話になった皆様に、心から感謝申し上げます。

 

写真はワークショップに参加して手作りしたわが家のお正月飾りです。松、六角柳、橙、南天、南天の葉、熊笹、ゆずり葉など、縁起物の材料を用いています。新しい年が希望に溢れた日々となりますように。そして皆様にもたくさんの福がやってきますように。

2018.12.18

都内「あやめ自分史センター」にて、「一枚の自分史」講座を受講してきました。自分で書いてみたいけれど、どこから手をつけたら良いのかわからなくてなかなか一歩が踏み出せない。そんな方にも気軽に取り組んでもらえる方法です。自分史ってなぁに?こんな基本的な問いに、私はちゃんと答えられるのだろうか?そんな基本のキをあらためて考えさせられました。たくさんの気づきとヒントを得られ、参加して本当に良かったです。

 

先日納本させていただいた自分史が、ありがたいことに書架の目立つところに収められていました。記念にパチリ。そのあと図書を閲覧していたら、すぐそばにその内容にリンクする会社の社史を見つけて、一人興奮するというオマケ付きの1日でした。

 

2018.11.3

自分史,完成本,和綴本,布の表紙,

今年6月1日に取材を始めた聞き書き自分史のご依頼。無事納品となりました。思い出の英国旅行にちなんだチェック柄とボタニカル柄の布を使って、四つ目の和綴本で装丁されています。

 

念願だったとおっしゃっていた自分史。旦那様との出会いから始まる全7章には楽しいことばかりではなかった半生が綴られていますが、悲しい、つらいを超越して、いっそ純な恋文のような読後感です。「こうして人生を文字にしてもらえて、初めて気づきました。後悔することなんてひとつもなかったことに。」というあとがきの一文は、私にとってこの上ない賛辞であり、自分史を作る意義を実感することができました。

 

今回の自分史はご家族以外に公開する予定はなく、お子様と著者ご本人の分3冊のみの納品です。このたった3冊が、これから先それぞれの家庭で永くたいせつに読み継がれ、ページを開くたびに著者の思いが生き生きと子や孫に届けられると思うと、魂を宿して密かに脈打つ生き物のように思えてきます。

2018.10.16

自分史,制作,初稿,

制作中の自分史の初校が出ました。各ページのレイアウト、原稿や写真の収まり具合、誤字脱字、用語の統一性、文章の不整合などを何度もチェックしましたが、その度に、ここはこうした方がいいかも…いややっぱり元に戻そう…などと逡巡しまくりです。自分のことけっこうさっぱりした性格だと思っているのですが、こと文章作りに関しては往生際が悪く、だらだらといじりたおしてしまうのです。

 

その初校を今日戻したので、あとは赤字を入れた箇所が正しく修正されているかもう一度確認したら、いよいよ印刷製本に入ります。表紙用布地を指定した手作りの和綴本に仕上げていただくため、出来上がるのは11月初旬の予定です。

2018.09.15

自分史,制作準備,資料収集,時代背景,

制作中の自分史のために資料を探しに来ました。その時代の出来事や世相などを反映すると、自分史に厚みが出てきます。最も難航しているのが、南町2丁目亀宗ビルの2階にあった「壱番館」という喫茶店。いま制作中の自分史のなかで重要な意味をもつお店なので、もし店内風景等の写真があればご依頼者にとても喜んでいただけると思うのですが、なかなか見つかりません。

 

写真は「常陽資料館」の資料ライブラリー。静かで落ち着いた空間です。残念ながら今回は目当ての写真が見つかりませんでしたが、蔵書等一般公開しているので、地域のことを調べる時には一見の価値ありです。